日経新聞6月14日(土) P.27から。

阿辻先生の記事は面白いので、必ず読みます。
今回は、親孝行に「父」の話が出てこない、ことについての記事です。
『二十四孝』という親孝行物語集に、
王祥は幼少時に母を亡くし、父の後妻から酷い扱いを受けた。だが彼はそれを恨まず、継母が冬の寒い時に魚を食べたいというので川に行った。しかし川は氷に覆われていて、魚などどこにもいない。仕方なく王祥は服を脱いで氷上に横たわり、体温で氷を融かして魚を得ようとしたところ、氷が融けて鯉が二匹出てきたので、さっそく持って帰った。
という話があって、
福沢諭吉は、『学問のすすめ(八編)』で、
「寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間に出来ざることなり」
と書いているそうです。
先日行った、
福沢諭吉のふるさと、大分県の中津駅前に、学問のすすめの一節がありました。

『学問のすすめ(十二編)』に、
学問の要は活用に在るのみ
活用なき学問は無学に等し
とあります。
これらのことから、福沢諭吉は、現実的であると思われます。
こういう人は株式投資もうまいだろうなと思った次第です。
投資家は、現実的な哲学者ですからね。